勝三郎は思わず制したが、快活な犬千代は
勝三郎は思わず制したが、快活な犬千代は、自身が当時信長の不良仲間だった事もあってか、
濃姫を前にしても、特に臆することなく事情を語り始めた。
「殿が、勝三郎殿が所持している滋籘弓をお取り上げなされたのです」
「まだ取り上げられてはおらぬっ」
「…あ、いえ、正確に言えば取り上げようとしているのです」
「勝三郎殿の弓を、殿が?」
「といってもただの弓ではございませぬ。勝三郎殿の亡き父君・恒利殿がご自身の初陣の折に作られた物で、
池田家継承に際し、父君の形見として、母君様より賜った御品だそうにございます」
「勝三郎殿の母君というと、確か殿の乳母であったという…」https://www.easycorp.com.hk/zh/trademark
「はい。殿の大御乳殿であり、亡くなられた大殿様のご側室であられた養徳院様にございます」
信長の乳母にして亡き信秀の側室であった養徳院は、勝三郎の実の母であり、事実上信長と勝三郎は乳兄弟の縁であった。
「その滋籘弓が亡き父上殿の形見である事は、殿も存じているのですか?」
濃姫が訊ねると、勝三郎も軽く鎌首をもたげて
「…はい。ずっと以前に申し上げた事がございます故。
その折は“大事にせよ”とお声をかけて下さいましたのに」
勝三郎の顔が悲痛に歪んだ。
「もしやその弓、どこぞの名のある職人が拵えた値のある品なのではないか?」
「…いえ、決して左様な事は。それに何分古い物でございます故、所々に傷みもあり、世辞にも良き品とは言い兼ねまする。
常に新しき物を好まれる殿が、あえて欲しがられるような物ではないと存じまするが」
勝三郎の説明を聞き、濃姫もそれは妙な話だと思った。
そのような古弓ならばこの織田家にも捨てる程ある。
これといって値の張る品でもなく、特別な工夫が為されている訳でもない物を、何故信長は欲しがるのだろう?
それも、忠実な臣下であり、乳兄弟の縁である勝三郎が大事とする物を奪うような真似を──…
その瞬間 濃姫は瞳が飛び出さんばかりに、大きく双眼を広げた。
唇を薄く開き、黒目を左右に泳がせると、姫は改めて勝三郎の悄々とした面差しを眺めた。
「勝三郎殿」
「…はい」
「そなたはこの先如何なる事があろうとも、殿の御意に従い、殿に生涯変わらぬ忠誠を誓う──そのお覚悟がおありか?」
伺う濃姫の目に、謎めいた色が走った。
何故そんな事を訊かれるのです?
勝三郎は無言のまま、そう訊き返したそうな耄けた顔で、姫の白く清廉な面差しを仰いだ。
「どうじゃ?その意思はおありか?」
濃姫が改めて伺うと
「…はい!そ、それは無論!」
勝三郎は一息呑んだ後、力強く頷いた。
濃姫の表情が俄に緩む。
「でしたら勝三郎殿。そのお形見の御弓、殿にお渡しなされませ」
勝三郎は犬千代と一瞬顔を見合わせてから、再度姫の面(おもて)を仰いだ。
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